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大衆炉ばた焼 恵風

この日の宿泊は『東横INN ホスピタルイン獨協医科大学』でした。
7月に続き2回目。
連休なのに比較的空きがあってリーズナブル。
とっても穴場です。
2023 08 東横INN ホスピタルイン独協医科大学① 2023 08 東横INN ホスピタルイン独協医科大学②


さて、この日の夕飯はホテルの近くにある『大衆炉ばた焼 恵風』へ。
ホテルからは500mほど。徒歩で7~8分ぐらいでしょうか。
前回宿泊した時に行ったお店とどっちにしようか迷ったお店です。
事前に個室を予約してから行きました。
2023 08 大衆炉ばた焼 恵風⑥

店内はテーブル席とカウンター席があってどちらも掘りごたつ式。
個室は奥にあって同じく掘りごたつ式でした。
ただ、個室にはエアコンがなく、ホールの冷気を取り込むため扉は開けっ放しでした。
構造的にエアコンが取り付けられないのかも…。

さて、まずはビール。
銘柄はサッポロだったと思います。
このお通しが美味しかったな。
2023 08 大衆炉ばた焼 恵風⑥


“キャベツの塩コンブサラダ”
2023 08 大衆炉ばた焼 恵風①


えーと、これ何のお刺身だったけな?
確かヒラメだっけ?
茨城か銚子で揚がったものだっと言っていたような…。
2023 08 大衆炉ばた焼 恵風②


“鶏の胸肉の唐揚げ”
2023 08 大衆炉ばた焼 恵風③


これは確か“さっぱり砂肝とネギのポン酢和え”
2023 08 大衆炉ばた焼 恵風⑤


“ホッケの干物”
2023 08 大衆炉ばた焼 恵風④

他にも食べたいメニューはたくさんありましたが、
盛りがいいのでお腹いっぱいになってしまいました。
ほとんどのメニューが1,000円しないのでお財布にもやさしい、
美味しくて感じのいいお店でした。


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栃木市 蔵の街

足尾銅山の次は栃木市へ移動。
県道15号(鹿沼足尾線)を利用して約60㎞、車で1時間半ほどですが、
標高1100mの粕尾峠を超える山道は道幅の狭いカーブの連続でした。

栃木市では巴波川(うずまがわ)沿いにあるうずま公園の駐車場を利用しました。
月極駐車場と混合のようで、月極の札のない場所なら無料で駐車OKでした。
メインのエリアだと他には栃木警察署の跡地が無料駐車場になっているようです。

さて、栃木市の「蔵の街」の歴史ですが、
元和3年(1617年)、徳川家康の霊柩を久能山から日光東照宮へ改葬した際に、
巴波川の川岸から荷物などを陸揚げしたことに始まるようです。
その後、街道や舟運を利用した江戸との交易で栄え、
当時の豪商が建てた立派な蔵屋敷が街のあちこちに残っています。

この巴波川沿いに立ち並ぶ蔵が街の顔になっていますね。
映画やドラマの撮影にも利用されているそう。
2023 08 栃木市 蔵の街②


遊覧船もあります。
“蔵の街遊覧船”
年末年始と荒天以外は毎日運航しているそう。
10時~、1,000円/大人
なんと、ペットも乗船可! 300円/1匹
2023 08 栃木市 蔵の街①


次は川岸から蔵の街大通り(県道11号)へ。
この大通りは日光東照宮へ参向する朝廷の勅使が通った“日光例弊使街道”です。
勅使は京都から中山道を通り、高崎の倉賀野から北へ進路を変えて
伊勢崎、足利、栃木、鹿沼を経由して日光へ向かっていたようです。
2023 08 栃木市 蔵の街⑮


こちらは大通り沿いにある“とちぎ蔵の街観光館”とうい建物。
もともとは荒物問屋の見世蔵。右奥にちょっと見えている白い土蔵は、
蔵のアパートとして利用されていたこともあるそうです。
現在は観光案内所&お土産物店になっていて、ここで散策マップをもらいました。
2023 08 栃木市 蔵の街④


こちらも同じ大通り沿いにある“山本有三ふるさと記念館”
山本有三は「路傍の石」などで有名な栃木市出身の作家です。
江戸時代の見世蔵を利用した記念館になっています。
2023 08 栃木市 蔵の街⑰


歴史的建造物ではありませんが、ちょっと気になった“寺内萬年筆病院”
他所の方のブログによると、戦中か戦後(どちらの記述もあって定かでない)に
東京から移ってきた方が営んでいたようで、現在は空き家のようです。
市に寄付して残すような話もあるようですが…残るといいですね。
2023 08 栃木市 蔵の街⑥


こちらは“横山郷土館”、登録有形文化財です。
横山家は店舗の右半分で麻問屋、左半分で銀行を営んでいた豪商だそう。
店舗の両側には鹿沼産の石で造られたツインの蔵があり、
店舗の奥には洋館が建っています。
見学できるようですが、この時は時間がなかったので外観だけ見てきました。
2023 08 栃木市 蔵の街⑦


こちらは横山郷土館と同じ通り沿いにある“栃木市立文学館”
もともとは大正10年(1921年)に建てられた旧町役場庁舎だったそうです。
2023 08 栃木市 蔵の街⑩

現在は改修して市にゆかりの文学者の資料が展示されています。
窓口は古い銀行のような感じでした。
2023 08 栃木市 蔵の街⑧ 2023 08 栃木市 蔵の街⑨


こちらは県立栃木高校の敷地内にある“栃木高校記念図書館(養正寮)”
大正天皇が皇太子の時に来校したのを記念して大正3年(1914年)に建てられたそう。
1階は図書館、2階は同窓会の集会室で、「養正寮」という名は昭和10年になってから
2階の部分に対して名付けられたとか。
今も学習室や囲碁将棋部の活動などに利用されているそうです。
こちらの建物の他に記念館と講堂の3つが登録有形文化財だそう。
門が閉まっていたので、外から見ることができたこの建物だけ撮ってきました。
2023 08 栃木市 蔵の街⑪


こちらは大正2年(1913年)築の“栃木病院”、登録有形文化財です。
現在は栃木中央クリニックという名前で診療をしているようです。
狭い路地にあるのでスマホの広角で撮ったらすごく長体がかっちゃった。
2023 08 栃木市 栃木病院


また日光例弊使街道に戻ってきました。
蔵の街大通りから折れ曲がって続いている別のエリアになります。
下の画像の右側に写っているの“市村理髪館”は栃木県内最古の理髪店で、
明治4年(1871年)の断髪令が出た時に開業し、平成元年(1989年)まで営業していたそう。
「理容遺産」に認定され、後述の岡田記念館内に道具などが展示されています。
2023 08 栃木市 蔵の街⑭


一番手前の黒い壁がかっこいい建物は麻問屋を営んでいた“大貫邸”
天保5年(1834年)に建てられた日本で3番目に古い見世蔵です。
2023 08 栃木市 蔵の街⑫


こちらは安政5年(1858年)築の“楡井家土蔵”
2019年に修復が済んでいるのでキレイでした。
2023 08 栃木市 蔵の街⑬


こちらは大正13年(1924年)築の“天海(あまがい)家住宅店舗”
塀に囲まれていて全部は見られませんでしたが、かなり広いお屋敷のようでした。
2023 08 栃木市 蔵の街⑯


こちらは天海家のそばにある“岡田記念館”
岡田家は室町時代から続く地元の名家で現在のご当主で26代目だそう。
江戸時代は代官の職を代行していたそうです。
この時は開館時間を過ぎていたので中の見学はできませんでした。
8年前の豪雨災害で受けた被害を修復中のようですが見学はできるようです。
案内図をみるとけっこう広いですよ。
2023 08 栃木市 蔵の街⑰

今回は見れなかった場所もありますし、
『岩下の新生姜ミュージアム』にも行けていないので、
また日を改めて訪問出来たらいいなと思います。


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足尾 本山精練所跡

古河掛水倶楽部の後は『本山精練所跡』へ。
通洞坑のあった足尾銅山観光からは約4.5㎞、古河掛水倶楽部からは約3km。
本山精練所に行く途中にある間藤駅はわたらせ渓谷鉄道の一方の終点です。

本山精練所は明治17年(1884年)、銅の産出量増加に対応するために
当時の最先端技術を導入して開設された精錬所です。
足尾銅山閉山後は輸入銅鉱石の精錬所として昭和63年まで稼働しました。
現在は近代産業遺産として国の史跡になっています。
内部の見学は不可。
2023 08 足尾 本山精練所跡②


松木川に掛かる錆錆の古い鉄橋は“古河橋”
明治23年(1890年)に建設されたドイツのハーコート社製のトラス橋です。
その歴史的価値の高さから国の重要文化財に指定されています。
掛けられた当時は鉄道道路併用橋だったそう。
2023 08 足尾 古河橋①


本山精練所は亜硫酸ガスの煙害に対応するために脱硫技術を世界で初めて実用化し、
亜硫酸ガスの完全回収に成功した実績があるそうです。
右側に写っている3つの円柱のタンクは“硫酸タンク”
2023 08 足尾 本山精練所跡③


こちらはひときわ目を引く“大煙突”
高さは約45mで12階建てのビルに相当するそう。
2023 08 足尾 本山精練所跡①

細かく見ようと思えばもっとたくさんの遺構がありますが、
ひとまず足尾観光はこれで終了です。

足尾銅山は世界遺産への登録を目指しているそうです。
世界遺産じゃなくても国がお金出して振興しろよ~。
怪しい某所には年間66億円も出すのによ~。


こちらはお昼ご飯を食べた地元の“ないとう食堂”
ダンナ・ピットはソースカツ丼、私はタンメン。
飲食店が少ない上に地元の人気店のせいかすごく混んでいました。
売り切れになってしまうメニューもありましたよ。
2023 08 足尾 ないとう食堂② 2023 08 足尾 ないとう食堂①


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足尾 古河掛水倶楽部(ふるかわかけみずくらぶ)

足尾銅山観光の後は『古河掛水倶楽部(ふるかわかけみずくらぶ)』へ。
足尾銅山観光からは約1.5㎞。
わたらせ渓谷鉄道の足尾駅からは約300m。

古河掛水倶楽部は足尾銅山の迎賓館的な建物で、明治32年(1899年)に建設され、
大正初期に改築され2階建てになったそうです。
2006年に国登録有形文化財に登録。
こちらには改築の時に設置された国産で一番古いビリヤード台が2台あります。
現在は古河機械金属㈱の福利厚生施設になっており、一般公開は土日祝のみ。
内部は撮影不可だったので画像は外観のみになります。
2023 08 古河掛水倶楽部①


この建物は敷地の入り口近くにある“足尾銅山電話資料館(国登録有形文化財)”
もともとは本山抗のあった間藤から移設された電話交換所です。
昭和26年(1951年)に移設、昭和40年(1965年)に自動交換機が導入され、
平成12年(2000年)まで稼働していたそうです。
その自動交換機を見ることができますよ。
足尾銅山では明治19年(1889年)から坑内外で電話が使用されていたそうです。
2023 08 古河掛水倶楽部⑩


足尾の迎賓館のすぐそばには重役の役宅や社員の社宅があります。
明治から大正にかけて建てられたもので、県登録有形文化財になっています。
どれも中の見学はできますが撮影は不可でした。

こちらは“所長役宅”
明治40年に建てられた和洋折衷の比較的大きな建物です。
2023 08 古河掛水倶楽部⑧

庭も広くて立派。
2023 08 古河掛水倶楽部⑤

その庭には防空壕の入口があって、
ここを通って下の庭園に出られるようになっていました。
最初は外にあるトイレかと思いました。
2023 08 古河掛水倶楽部④ 2023 08 古河掛水倶楽部③


こちらは、現在は鉱石資料館になっている確か副所長の家だったかな?
2023 08 古河掛水倶楽部②


こちらは“課長宅”
所長、副所長宅よりはちょっと小さめ。
2023 08 古河掛水倶楽部⑦


役宅とは道を挟んだ対面に一般の社宅だった建物がありますが、
現在も町営住宅として使用されているので外観も見学は不可。
建物の裏側や内部は増改築やリフォームがされているようですが、
正面部分は建てられた大正元年のままの姿が残っているそうです。


こちらは別な敷地ですが迎賓館の目の前にある“旧足尾銅山工業事務所付属書庫”
明治44年築。国登録有形文化財。
古写真を見ると、横のグラウンドに工業事務所の建物があったようです。
この時は修復用の足場が組まれ覆いが掛かっていました。
もともと非公開の建物だったようなので、工事が終わっても見学は外観のみかもしれません。
2023 08 古河掛水倶楽部⑥


古い煉瓦の塀も残っていました。
2023 08 古河掛水倶楽部⑨



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足尾銅山観光

8月の山の日の連休に一泊二日でまた北関東に行ってきました。
一日目の目的地は国の史跡にもなっている歴史博物館『足尾銅山観光』

東北道を北上して岩舟JCTから北関東自動車道に入り、
太田藪塚ICで降りて渡良瀬川ぞいの一般道を利用しました。
ちょうどわたらせ渓谷鉄道と並走する感じです。
ちなみに足尾銅山観光の最寄り駅はわたらせ渓谷鉄道の「通洞駅」。

足尾銅山観光の駐車場は40~50台ほどのキャパだったと思いますが、
連休だったのでけっこう埋まっていました。

足尾銅山には本山抗、小滝抗、通洞抗の3つの入口があったようですね。
足尾銅山観光はそのうちの通洞抗というところを公開しているようです。
このゲートから少し下ったところに見学受付の建物があります。
※入坑料金830円/大人一人
2023 08 足尾銅山観光①


入坑料金を払ったらトロッコに乗って銅山の中へ。
2023 08 足尾銅山観光②


これは後から撮ったものですが、
奥に見えるトンネルは“通洞抗”への入口です。
トロッコに乗ってこの中へ入っていって行きます。
2023 08 足尾銅山観光⑭


坑道を数十メートルほど入った所で下車。
奥に見えるフェンスの向こうは今は閉鎖されている坑道です。
坑道の長さ1,200㎞は東京から博多ぐらいの長さだそうです。
2023 08 足尾銅山観光⑰


見学ルートは地表に近い部分だけのようですが、
それでも結構な距離がありました。
2023 08 足尾銅山観光⑦


坑内の展示は時代ごとに人形を使って紹介されていますが、
中は暗いのでほとんどの画像がボケていました…。
なんとか見られるものをUPしています。

こちらは江戸時代の作業の様子です。
2023 08 足尾銅山観光③


江戸時代に顔の面白い人がいたのでもう一枚載せますね。
2023 08 足尾銅山観光④


こちらは明治・大正時代。
2023 08 足尾銅山観光⑱


こちらは昭和時代。
2023 08 足尾銅山観光⑲


鉱脈を通って流れてくる地下水(硫酸銅溶液)を鉄と置換し沈殿銅を採集する装置。
2023 08 足尾銅山観光⑤


“岩肌青色地帯”は染み出した硫酸銅が岩肌に付着して塊になった場所。
実際に見るともっとはっきり青いのが分かります。
2023 08 足尾銅山観光⑥


こちらは坑内展示の最後の方にある“銅(あかがね)資料館”
2023 08 足尾銅山観光⑧


外に展示してある“電気機関車と1t角坑車”
2023 08 足尾銅山観光⑫


こちらは“さく岩機”
岩盤を破砕する時の音と振動が体験できます。
2023 08 足尾銅山観光⑨


こちらは江戸時代の選鉱・精錬作業の展示です。
左は銅鉱石を粉砕して選鉱する砕女(かなめ)。
この仕事は女性が担っていたそう。
右は精錬する吹所(ふきしょ)で、精銅に仕上げる作業のほか、
銅に含まれる金や銀を取り出す作業もしていたそう。
2023 08 足尾銅山観光⑩ 2023 08 足尾銅山観光⑪


外展示の一角にある銅銭を作る様子を展示した建物“鋳銭座”
その壁に飾られている寛永通宝は銭形平次が投げていたアレです。
足尾で作られた銅銭の裏には「足」の字があったそうです。
内部は撮影不可だったと思ったので画像はありません。
2023 08 足尾銅山観光⑬


最後は売店&食堂のある建物を通って見学は終わりです。
売店では銅製の鍋や食器なども売っていましたよ。
2023 08 足尾銅山観光⑮


建物内の食堂はここしか営業していないようでした。
昭和にタイムスリップしたかのような佇まい。
2023 08 足尾銅山観光⑯


こちらは売店・食堂のある建物を出たそばにある“通洞鉱山神社”
大正9年(1920年)に鉱業所の移転に伴い神社も新たに造営されたようです。
狛犬は寛保3年(1743年)に彫られたもので、
足尾銅山発祥の地にあった簀の子橋山神社にあったものを移したそう。
2023 08 足尾銅山観光 通洞鉱山神社⑰

足尾銅山というと鉱毒事件の負のイメージしかありませんでしたが、
立派な日本の産業遺産としての足跡が残されていました。
それに、お金を造ってたというし、個人的には金運にご利益があると嬉しいです。


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