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うなぎ割烹 山田

茨城
03 /28 2023
1時間ほど経ったのでそろそろ順番かなと思いお店に向かっていた途中、
お店から順番がきたという連絡がワンとものスマホに入りました。
もう、傍まで来ていたのですぐ到着。

この日のお昼は『うなぎ割烹 山田』
創業300年の老舗です。
人気店でいつも行列しているようですが、この日は休日だったので
特に混んでいたような感じです。
2023 02 佐原「うなぎ割烹山田」①


座敷とテーブル席があって、合わせて5~7卓ほどだったでしょうか。
混んでいると相席になる場合もあるようです。
2023 02 佐原「うなぎ割烹山田」②

もううな重の上は終了していて並しかありませんでしたが、
量がちょっと違うだけなので十分です。

うな重(並/3,800円)
じゃん!
2023 02 佐原「うなぎ割烹山田」③


じゃん!じゃん!!
2023 02 佐原「うなぎ割烹山田」④

ちょっとタレは濃いめで外側はパリっと香ばしく中はフワッと柔らかく。
サイコーに美味しかった~😆

うちより後に電話で呼ばれて来たお客さんは2組ほどだったので、
うちもギリギリだったかもしれません。

国道51号沿いに別館がありますが、こちらの方が席数は多そう。
こちらのお店とは2㎞ちょっと離れた国道51号沿いにあります。



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伊能忠敬旧宅と記念館

茨城
03 /24 2023
香取神宮の後はお昼ご飯を食べに佐原へ。
香取神宮から佐原の市街地までは約3.5km、車で10分ぐらい。

お目当てのお店は1時間ほど待ちそうだったので、
待っている間に景観エリアを散策してみました。
2023 02 佐原①


ちょうどひな祭りの時期だったので、川岸にひな人形が飾られていました。
2023 02 佐原②


こちらはその小野川沿いにある『伊能忠敬旧宅』
前に来た時は改修中で見学できなかったので行ってみました。
ワンともは初めてですが、ダンナ・ピットは子供の頃に一度来たことがあるそうです。
2023 02 佐原「伊能忠敬旧宅」①


正門の横にあるのがかつての店舗部分です。
伊能家は醸造業などを営んでいた資産家だったそうです。
2023 02 佐原「伊能忠敬旧宅」⑥


店舗部分は土蔵造り。
正門と店舗は伊能忠敬が婿に入る前からあるそうなので、
建ててから200年以上は経っているようです。
お雛様は昭和40年代頃のもので香取市内の方からの寄贈だそう。
2023 02 佐原「伊能忠敬旧宅」②


こちらは炊事場。
なぜか御用旗と象現儀が。
2023 02 佐原「伊能忠敬旧宅」③


書院。
画像を撮り忘れましたが、これらに土蔵を加えた部分が
国定史跡になっています。
2023 02 佐原「伊能忠敬旧宅」④


書院の向かい側にある伊能忠敬像と「測量の日」の碑。
2023 02 佐原「伊能忠敬旧宅」⑤


旧宅前の通称ジャージャー橋(樋橋)を渡った対岸に『伊能忠敬記念館』があります。
以前は旧宅の敷地内に記念館があった事をダンナ・ピットが憶えていて、
スタッフにちょっと聞いてみたら、その通りだと言っていました。

こちらの資料館が所蔵する伊能忠敬関係の国宝の数は2345点!
内部の撮影は不可でしたが撮影が可能な展示もありました。
2023 02 佐原「伊能忠敬記念館」③


こちらは「壱岐島(長崎)の下図」
国宝です。
ちょっとボケちゃって見づらいのですが、たぶん縮尺は3万6000分の1。
※クリックで拡大。
2023 02 佐原「伊能忠敬記念館」②


こちらは「大洲藩領(愛媛)絵図」
こちらも国宝。
縮尺は約6000分の1の実測図です。
大洲藩の測量士が測量し同藩の絵師が描いたものと考えられているそう。
※クリックで拡大。
2023 02 佐原「伊能忠敬記念館」⑥


こちらは忠敬の最初の妻ミチが忠敬宛てに書いた手紙。
女性の筆なので仮名が多いらしいですが全然分かりません。
内容は娘イネの襦袢の襟の相談だそうです。
※クリックで拡大。
2023 02 佐原「伊能忠敬記念館」④


こちらは伊能家の雛人形と婚礼用の打掛。
忠敬の子孫(慶応年間)のもののようです。
2023 02 佐原「伊能忠敬記念館」①


こちらは“伊能家相続協議書”
天保9年(1838年)に書かれた相続に関する書状。
忠敬の孫の忠誨(ただのり)が重病になったため、急いで養子を縁組したという内容。
※クリックで拡大。
2023 02 佐原「伊能忠敬記念館」⑤

上記の書状が示す通り忠敬の孫が養子縁組をして跡取りを迎えましたが、
その後、紆余曲折あって忠敬の資料含め伊能家の管理者も変わり現在に至っているようです。

これはメインの展示にもありますが、伊能忠敬の恩師に当たる高橋至時の息子が、あのシーボルト事件に関与していたのには驚きました。
しかも、獄死した遺体の首を刎ねて斬罪とする徹底ぶり。
地図の流出というのは、それだけ国防に関わる重罪だったという事ですね。
いま同じぐらい重罪のやつがめっちゃいっぱいいる日本…。

こちらの資料館には国宝などの貴重品が多く、2ヶ月ごとに展示品を入れ替えているそうなので、何度行っても新しい展示が見られそうです。
旧宅まで行かれたら記念館にも是非寄ってみてください。



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香取神宮 要石と奥宮

茨城
03 /20 2023
鹿島神宮にある要石と奥宮ですが香取神宮にもあります。
どちらも旧参道沿いにあって徒歩圏内。

香取神宮の楼門から要石までは200mぐらいでしょうか。
鹿島神宮と同じく、露出している部分はごく一部で地中深くまで差し込み
地震を起こす大鯰を抑えていると謂われています。
2023 02 香取神宮「要石」②


香取神宮の要石は凸形で、鹿島神宮は凹形をしています。
2023 02 香取神宮「要石」①


ちなみにこちらが鹿島神宮の要石(凹形)。
2010年に撮ったものです。
2010 0101 鹿島神宮「要石」


香取神宮の奥宮は楼門から300mぐらい。
要石からもすぐです。
2023 02 香取神宮「奥宮」①


奥宮は御祭神の経津主大神の荒魂をお祀りしていて、
社殿は昭和48年の伊勢神宮御遷宮の時の古材で作られているそう。
2023 02 香取神宮「奥宮」②


奥宮の傍にも社務所があって、そこで奥宮の御朱印が頂けます。
2023 02 香取神宮「奥宮」③



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香取神宮

茨城
03 /17 2023
息栖神社の後は、東国三社のもう一つ『香取神宮』へ。
息栖神社とは利根川を隔てた対岸の千葉県香取市にあって
距離は約18km、車で25分ぐらい。
公共交通機関を利用する場合はJR佐原駅からバスが出ているようです。

香取神宮は下総国(千葉北部)の一之宮で、
全国に約400社ある香取宮の総本社。
昔は三つしかなかった名前に神宮の付くお宮の一つ(伊勢、鹿島、香取)。
創建は神武天皇18年(紀元前643年)、約2660年前。

さて、こちらは表参道。
両脇に石灯篭が並ぶ坂道で、下には商店街と駐車場があります。
2023 0226 香取神宮⑧


参道を登った所にある“石鳥居”
奥に見える朱塗りの門は“総門”
2023 0226 香取神宮⑦


総門をくぐって右奥にあるのが“楼門”
元禄13年(1700年)の創建で、昭和58年に重要文化財に指定。
旧参道から来るとこの楼門の辺りに出ます。
2023 0226 香取神宮①


楼門の南側に掛かっている額の「香取神宮」の文字は東郷平八郎の筆。
2023 0226 香取神宮⑬


楼門をくぐって右側にあるのが“神楽殿”
香取神宮のホームページには“神楽殿”とだけ書いてありますが、
Wikipediaには楼門と同じく元禄13年に造営された“祈祷殿(旧拝殿)”で、
昭和になってから現在の場所に移築されたとなっています。
2023 0226 香取神宮⑥


こちらは黒漆塗がかっこいい現在の“拝殿”
御祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)で、
伊波比主命(いはひぬしのみこと)という別名があります。
鹿島の神様とともに国譲りの神話に出てくる神様で、
古来より国家鎮護、武徳の神として崇められています。
2023 0226 香取神宮②

拝殿は“拝殿・幣殿・神饌所”という名称の登録有形文化財です。
昭和の大修築の時の造営なので神社の歴史からするとかなり新しいですが、
昭和15年築なので今年で83年目です。
拝殿が黒漆塗になったのはこの時からだそう。

拝殿ではちょうど結婚式をしていました。
私たちの頃は教会式が主流でしたが、最近は和婚が増えましたね。
白無垢も髪型もオシャレになりました。
2023 0226 香取神宮③


こちらは“御神木”
除けたつもりでしたがハレーションが入っちゃいました。
2023 0226 香取神宮⑨


拝殿の後ろ側にあるのが“本殿”
この画像だと手前が本殿、奥が拝殿。
本殿は元禄13年(1700年)築の国定重要文化財。
2023 0226 香取神宮④

上の画像、少しもやって見えますが、これスギ花粉が原因です。
目視できるぐらい大量の花粉が降り注いでいました。
ここまでの量になると眠くなりにくい花粉症の薬は全く効かず。
眠くてボーっとするぐらいキツイ薬じゃないとム~リ~。

こちらは一本の杉が三本に分かれた“三本杉”
源頼義が参拝した際に「天下泰平社頭繁栄子孫長久、三つの願い成就せば此の杉自ら三枝に分かれん」と祈願したところ、一つの株が三つに分かれたといわれているそうです。真ん中の幹は朽ちてしまったよう。
2023 0226 香取神宮⑩


清めの“御神砂(おすな)”
自由に取って持って帰っていいので一つまみ頂いてきました。
2023 0226 香取神宮⑤


こちらは昭和45年に建造された海上自衛隊の“練習艦かとりの錨”
艦名が香取神宮に由来するので、平成10年に除籍を記念して奉納されたそう。
2023 0226 香取神宮⑪


御朱印も頂いてきました。
2023 0226 香取神宮⑫



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息栖神社

茨城
03 /10 2023
神栖市にある息栖神社(いきすじんじゃ)
鹿島神宮、香取神宮と並ぶ東国三社の一つで、昔は「お伊勢参り」をした後、
この三社に詣でることを禊の「下三宮参り」と称して人気が高かったそうです。
2023 0226 息栖神社①


また、鹿島神宮、香取神宮、息栖神社を線で結ぶと直角三角形になり、
息栖神社はちょうど直角部分に位置するようです。
2023 0226 息栖神社⑮


2つ上の画像に写っている鳥居は二の鳥居で、
この鳥居をくぐって少し行った所にある“稲荷神社”
2023 0226 息栖神社⑦


こちらは二の鳥居の正面奥にある“神門”
2023 0226 息栖神社②


神門の先にあるのが“社殿”
息栖神社の主祭神は、
国譲りの際に東国への先導にあたった久那斗神(くなどのかみ)。
相殿神は鹿島の神の副神だった天乃鳥船神(あめのとりふねのかみ)と
三韓征伐に由来する住吉三神。
2023 0226 息栖神社③

現在の社殿は昭和38年に建てられたもので、それ以前の社殿は享保7年(1722年)に建てられたものでしたが、昭和35年に焼失したそう。

こちらは“御神木”
2023 0226 息栖神社⑫


大同2年(807年)の創建から1200年目を記念して、
平成19年(2007年)に建てられた記念碑。
2023 0226 息栖神社④

現在の場所に御遷座する前は、同じ神栖市の日川という場所に祀られていたそうなので、神社自体の歴史はもっと古いということになりますね。
日川ってどの辺りか調べてみたら、今の場所よりも8kmぐらい離れた利根川の下流域にありました。


こちらは“力石”と“松尾芭蕉の句碑”
力石は昔、若者たちが夕涼みの際に力比べで持ち上げていた石。
芭蕉の句は、芭蕉の親友の鹿島根本時の仏頂和尚に招かれた際、
ここにも訪れて読んだ句だそう。
「この里は 気吹戸主(いぶきとぬし)の 風寒し」
気吹戸主というのは息栖神社の御祭神の事をいうそうです。
建立の時期は不明ですが凡そ170年ぐらい前のようで、芭蕉が訪れてから150年ぐらい経って建てられた感じです。
2023 0226 息栖神社⑥

画像はありませんが、力石と芭蕉の句碑の近くには、
緑色の花が咲く珍しい“御衣黄”という桜の木があります。


こちらは“息栖ゆかりの歌碑”
歌碑に刻まれているのは鎌倉時代に息栖の辺りを詠んだ歌だそうです。
2023 0226 息栖神社⑤


この木は“招霊(おがたま)の木”
小賀玉、黄心樹とも表記するモクレン科の木で、招霊は和名。
「幸運をもたらす精霊の宿る木。近寄ってパワーを貰いましょう」と書いてあるので、みんな近寄って手をかざしていました。
2023 0226 息栖神社⑬


境内を出て神社と反対側に行くと利根川の岸に一の鳥居があります。
二の鳥居からは約150m、歩いて3分ぐらい。
この画像は利根川の方から撮った一の鳥居です。
2023 0226 息栖神社⑪

両サイドにある“忍潮井(おしおい)”の井戸。
左が“女瓶(めがめ)”、右が“男瓶(おがめ)”
2023 0226 息栖神社⑧ 2023 0226 息栖神社⑩

男瓶には鮮やかな色の鯉が泳いでいました。
2023 0226 息栖神社⑨

利根川の水運を利用して下三宮参りをしていた昔は、
ここから上陸してお参りしていたんでしょうかね。

御朱印もいただいてきました。
2023 0226 息栖神社⑭



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ワンとも

計画好きトラベラー
「ワンとも」です。
旅の相方は「ダンナ・ピット」。
我が家の旅にまつわるアレコレを、乏しい文章力をフル回転して書いています。
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