『ヘイフリ坂(幣降坂)』
2009 長崎
風頭公園から歩いて下山することにしたワンとも達。
山を下ってヘイフリ坂(幣降坂)に出たいのだけど、それらしい道が見当たらない。
ちょうど通りかかった犬の散歩をしている住民の方を捕まえて訊いてみた。でも、詳しくは知らない様子。住んでいると無意識に利用していて、かえって知らない場合もある。
その方が「たぶんそこの道だ」という“長崎ハタ資料館”の前の路地を行ってみることに。
「人の家?」と思うような路地をちょっと行くと、長崎の街と長崎港が眼下に見えてきた。

もう少し行くと斜面に墓地が広がる。この墓地にはシーボルトの妻だった楠本 滝の墓もあるとか。シーボルトってオランダ人だと思っていたのだけど実はドイツ人だった。
そういえば長崎の墓石は墓碑銘(?)が金色に塗ってあるものがほとんどで、あまり見たことがなかったので珍しかった。墓石を写すのはちょっとナンなので一服用の“やすみいし”を。

古い墓地らしく、長くて急な石段が続く。

途中、お墓参りの老夫婦とすれ違ったけど、ここは墓参も大変そうだ。

ようやく石段も終わりヘイフリ坂に出た。
ヘイフリ坂は“幣降坂”と書き、来歴による次の通り。
皓台寺と大音寺の間にある坂。寛永11年(1634年)、諏訪神社の一の鳥居に使用するための石材を麓に降ろした際、宰領が御幣(紙を切り細長い木に挟んで垂らした神祭用具)を振って、人夫たちを鼓舞したこと由来するとも言われています。長崎では、この坂のほか延命寺と長照寺の間や東本願寺横の坂も幣降坂と呼ばれています。この坂は長崎でロケが行われた映画「解夏(げげ)」の冒頭やラストシーンに出てきます。

「解夏」はまだ見たことがないけれど、風情のある坂だった。
長い階段坂を降りてちょっと膝がガクガクになったけど、頑張って眼鏡橋へ。
山を下ってヘイフリ坂(幣降坂)に出たいのだけど、それらしい道が見当たらない。
ちょうど通りかかった犬の散歩をしている住民の方を捕まえて訊いてみた。でも、詳しくは知らない様子。住んでいると無意識に利用していて、かえって知らない場合もある。
その方が「たぶんそこの道だ」という“長崎ハタ資料館”の前の路地を行ってみることに。
「人の家?」と思うような路地をちょっと行くと、長崎の街と長崎港が眼下に見えてきた。

もう少し行くと斜面に墓地が広がる。この墓地にはシーボルトの妻だった楠本 滝の墓もあるとか。シーボルトってオランダ人だと思っていたのだけど実はドイツ人だった。
そういえば長崎の墓石は墓碑銘(?)が金色に塗ってあるものがほとんどで、あまり見たことがなかったので珍しかった。墓石を写すのはちょっとナンなので一服用の“やすみいし”を。

古い墓地らしく、長くて急な石段が続く。

途中、お墓参りの老夫婦とすれ違ったけど、ここは墓参も大変そうだ。

ようやく石段も終わりヘイフリ坂に出た。
ヘイフリ坂は“幣降坂”と書き、来歴による次の通り。
皓台寺と大音寺の間にある坂。寛永11年(1634年)、諏訪神社の一の鳥居に使用するための石材を麓に降ろした際、宰領が御幣(紙を切り細長い木に挟んで垂らした神祭用具)を振って、人夫たちを鼓舞したこと由来するとも言われています。長崎では、この坂のほか延命寺と長照寺の間や東本願寺横の坂も幣降坂と呼ばれています。この坂は長崎でロケが行われた映画「解夏(げげ)」の冒頭やラストシーンに出てきます。

「解夏」はまだ見たことがないけれど、風情のある坂だった。
長い階段坂を降りてちょっと膝がガクガクになったけど、頑張って眼鏡橋へ。
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