フィレンツェ⑥ 『Pisa -Ⅱ-』
2011 バルセロナ&フィレンツェ
メッツォ橋を渡ってボルゴ・ストレット通りへ。
旧市街っぽい街並みになってきました。

この通りをちょっと行くと見えてくるのが『サン・ミケーレ・イン・ボルゴ教会』
チェーザレの時代、この教会の横の修道院で大学の講義が行われていたそう。
チェーザレは16歳でピサ大学の大学生だったんですよ~。

ボルゴ・ストレット通りからウリッセ・ティーニ通りを通ってカヴァリエーリ広場へ。
広場に着いてすぐ右手に見えたのが
『サント・ ステーファノ・デイ・カヴァリエーリ教会』
メディチ家が創設したサント・ステファノ騎士団の教会だそうです。

その横にあるのが『カヴァリエーリ宮』
地図を見るとピサ国立大学になっているんですが、校舎の一つでしょうか。

で、こちらが『オロロージョ館』
かつて“飢餓の塔(ファーメの塔)”があった場所で、
ダンテの「神曲」地獄篇にも出てきます。
かつてピサの権力争いに負けたウゴリーノ伯爵一家がここにあった塔に幽閉され
ことごとく餓死するまでの壮絶なお話の現場です
今残っている建物は改築されたもので、左側の四連の窓が
改築前の唯一のものだそう。

『オロロージョ館』のアーチを抜けて突き当たりを右にファッジョラ通りへ。
少し行くと突き当たるのがカルティナーレ・フェルティナンド・カッポーニ通り。
たぶん人の名前なんでしょうけど、長い・・・
きっと地元の人はカッポーニ通りって言ってると思う、うん。
そこを左に曲がって道なりに行くと右側にあるのが『ピサ大司教邸』
ピサでのチェーザレの住まいだった所です。

中庭までは入ることができました。
チェーザレの時代、ピサ大司教はラファエーレ・リアーリオで、
パッツィ家によるメディチ家当主とその弟の暗殺事件に利用された人です。
リアーリオはパッツィ家の関係者で、チェーザレ暗殺の密命を受けていますが、
ここでもチェーザレに籠絡されて利用されています(笑)
パッツィのメディチ暗殺・・・映画『ハンニバル』でも出てきたエピソードですね。

大司教邸を背に正面を見ると・・・出ました『ピサの斜塔』
ちょっと背の高い子が「えへっ」という感じで覗き込んでいるみたい。

次はいよいよ『ピサの斜塔』に登ります。
旧市街っぽい街並みになってきました。

この通りをちょっと行くと見えてくるのが『サン・ミケーレ・イン・ボルゴ教会』
チェーザレの時代、この教会の横の修道院で大学の講義が行われていたそう。
チェーザレは16歳でピサ大学の大学生だったんですよ~。

ボルゴ・ストレット通りからウリッセ・ティーニ通りを通ってカヴァリエーリ広場へ。
広場に着いてすぐ右手に見えたのが
『サント・ ステーファノ・デイ・カヴァリエーリ教会』
メディチ家が創設したサント・ステファノ騎士団の教会だそうです。

その横にあるのが『カヴァリエーリ宮』
地図を見るとピサ国立大学になっているんですが、校舎の一つでしょうか。

で、こちらが『オロロージョ館』
かつて“飢餓の塔(ファーメの塔)”があった場所で、
ダンテの「神曲」地獄篇にも出てきます。
かつてピサの権力争いに負けたウゴリーノ伯爵一家がここにあった塔に幽閉され
ことごとく餓死するまでの壮絶なお話の現場です

今残っている建物は改築されたもので、左側の四連の窓が
改築前の唯一のものだそう。

『オロロージョ館』のアーチを抜けて突き当たりを右にファッジョラ通りへ。
少し行くと突き当たるのがカルティナーレ・フェルティナンド・カッポーニ通り。
たぶん人の名前なんでしょうけど、長い・・・

きっと地元の人はカッポーニ通りって言ってると思う、うん。
そこを左に曲がって道なりに行くと右側にあるのが『ピサ大司教邸』
ピサでのチェーザレの住まいだった所です。

中庭までは入ることができました。
チェーザレの時代、ピサ大司教はラファエーレ・リアーリオで、
パッツィ家によるメディチ家当主とその弟の暗殺事件に利用された人です。
リアーリオはパッツィ家の関係者で、チェーザレ暗殺の密命を受けていますが、
ここでもチェーザレに籠絡されて利用されています(笑)
パッツィのメディチ暗殺・・・映画『ハンニバル』でも出てきたエピソードですね。

大司教邸を背に正面を見ると・・・出ました『ピサの斜塔』
ちょっと背の高い子が「えへっ」という感じで覗き込んでいるみたい。

次はいよいよ『ピサの斜塔』に登ります。
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