安達ヶ原の鬼婆
2021 仙台・福島・栃木
遅いランチの後は同じ二本松市内の観世寺へ。
ここは「安達ヶ原の鬼婆」の伝説で有名なお寺です。
福島県人は学校の遠足などで一度は行ったことがあるんじゃないでしょうか。私も小学生の時に学校の遠足で一度行っています。
バスの車内でバスガイドさんから鬼婆の話をきかされてから行くので、
恐怖MAXなんですよ。

鬼婆伝説は歌舞伎や謡曲の演目にもあるそうですが、
全国的にはどのぐらいの知名度なんでしょうかね。
鬼婆伝説を簡単に説明すると、
「とある京都のお屋敷でお姫様の乳母をやっていた女性が、お姫様の重病を治すために、占い師から言われた「お腹にいる子供の生肝を飲ませれば治る」という言葉を信じ、安達ヶ原までやってきて妊婦が通りかかるのを待った。ある日宿を求めてやってきた妊婦を殺して胎児の生肝を取ったが、その妊婦は昔生き別れた実の娘だと知り発狂。鬼と化して旅人を襲うようになったが、高僧に退治された」とう内容です。もっと詳しい内容はこちらで。
その鬼婆が棲みついたというのがこの岩屋です。

岩屋の周りは一周するることができます。
これは後ろ側にある“胎内くぐり”
くぐってもいいようですが、嵌ると困るので止めておきました。

夜な夜な、鬼婆に殺められた赤子の鳴き声が聞こえたという“夜泣き石”

松尾芭蕉も来たんですね。
こんな所に腰かけても休もうと思わないけど…。

あと、正岡子規も来てるようです。
鬼婆が殺しに使った出刃包丁を洗ったという“出刃洗いの池”
血の池ともいうそう。
ここはよく覚えています。

こちらは岩屋のすぐ傍に建つ白真弓如意輪観音堂。
1812年(文化9年)の再建。
奈良時代からの秘仏“白真弓如意輪観音”の胎内には鬼婆を討つ時に
使った観音像が埋め込まれていて、60年に一度、御開帳されるそうです。
次はいつなんでしょうね。

こちらは1788年(天明8年)に再建された本堂。
再建時から数えても234年前なので十分古いですが、
開基は1296年前の726年(神亀3年)。

本堂の横にある毘沙門堂(明治43年新説)と薬師如来堂(萬延元年再建)
毘沙門天は二本松城の落城後にこちらへ移されたものだそうです。

こちらは鬼婆の亡骸を埋めたといわれる“黒塚”
鬼婆の岩屋から歩いてすぐの河川敷にあります。
バス旅行でも来たと思うんですが全然憶えていませんでした。

現代になってからも祈祷師や教祖と名乗る人物が、人心を支配して殺人に繋がる事件は起きてますから、医療より祈祷などが人々の拠り所だった時代では尚更だったのかも。
御朱印も貰ってきました。

ここは「安達ヶ原の鬼婆」の伝説で有名なお寺です。
福島県人は学校の遠足などで一度は行ったことがあるんじゃないでしょうか。私も小学生の時に学校の遠足で一度行っています。
バスの車内でバスガイドさんから鬼婆の話をきかされてから行くので、
恐怖MAXなんですよ。

鬼婆伝説は歌舞伎や謡曲の演目にもあるそうですが、
全国的にはどのぐらいの知名度なんでしょうかね。
鬼婆伝説を簡単に説明すると、
「とある京都のお屋敷でお姫様の乳母をやっていた女性が、お姫様の重病を治すために、占い師から言われた「お腹にいる子供の生肝を飲ませれば治る」という言葉を信じ、安達ヶ原までやってきて妊婦が通りかかるのを待った。ある日宿を求めてやってきた妊婦を殺して胎児の生肝を取ったが、その妊婦は昔生き別れた実の娘だと知り発狂。鬼と化して旅人を襲うようになったが、高僧に退治された」とう内容です。もっと詳しい内容はこちらで。
その鬼婆が棲みついたというのがこの岩屋です。

岩屋の周りは一周するることができます。
これは後ろ側にある“胎内くぐり”
くぐってもいいようですが、嵌ると困るので止めておきました。

夜な夜な、鬼婆に殺められた赤子の鳴き声が聞こえたという“夜泣き石”

松尾芭蕉も来たんですね。
こんな所に腰かけても休もうと思わないけど…。

あと、正岡子規も来てるようです。
鬼婆が殺しに使った出刃包丁を洗ったという“出刃洗いの池”
血の池ともいうそう。
ここはよく覚えています。

こちらは岩屋のすぐ傍に建つ白真弓如意輪観音堂。
1812年(文化9年)の再建。
奈良時代からの秘仏“白真弓如意輪観音”の胎内には鬼婆を討つ時に
使った観音像が埋め込まれていて、60年に一度、御開帳されるそうです。
次はいつなんでしょうね。

こちらは1788年(天明8年)に再建された本堂。
再建時から数えても234年前なので十分古いですが、
開基は1296年前の726年(神亀3年)。

本堂の横にある毘沙門堂(明治43年新説)と薬師如来堂(萬延元年再建)
毘沙門天は二本松城の落城後にこちらへ移されたものだそうです。

こちらは鬼婆の亡骸を埋めたといわれる“黒塚”
鬼婆の岩屋から歩いてすぐの河川敷にあります。
バス旅行でも来たと思うんですが全然憶えていませんでした。

現代になってからも祈祷師や教祖と名乗る人物が、人心を支配して殺人に繋がる事件は起きてますから、医療より祈祷などが人々の拠り所だった時代では尚更だったのかも。
御朱印も貰ってきました。

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コメント
鬼婆
「ガクブル(;゚Д゚)
2022-02-24 23:42 ジェニュイン URL 編集
Re: ジェニュインさん
お漏らし注意⚠️
2022-02-25 22:57 ワンとも URL 編集
私は全然知りませんでした…
今思うと、宮崎ではあんまり怖い昔話がなかったような気がします。宮崎では「はんぴどん」というとんち者の話が有名ですかね。他県の方は勿論ご存知ないと思いますけど。一休さんの超庶民バージョンって感じです。
私が子供の頃は、原因不明の病をお祓いに頼ることがありましたよ。でも、伯父が庭の木を切って腕が上がらなくなった時に「あの木は切っちゃいけない木だった」と言われていましたけど、今思うと「五十肩だったんじゃない?」と思います。😅
二本松… 伊達政宗が滅ぼしたんですよね。😓 畠山義継の奥さん役は市毛良枝さんでした。
2022-02-26 06:07 Kaka URL 編集
Re: Kakaさん
私が知っている限りだと福島の昔話は悲劇が多いかもしれません。私が通っていた高校にある桜にまつわる話も悲劇ですし、白河のお城の人柱とかもバス旅行のバスの中で聞かされてギャーギャー言った記憶があります。
うちは原因不明の病気の治癒にお祓いをしたことはありませんが、お祓い関係で事件も起きているので頼っていた人はいたんだと思います。うちの辺りはお祓いより民間療法ですかね。でも、これが結構間違ってて、近所の人が作ったキズ薬をカゼ薬だといって飲まされたこともありますよ。
二本松は伊達政宗にも滅ぼされてましたね。うちの地元もそうなんですが、いつも地図とナレーションで終わりですね。政宗の伯母さんが城主だったのに…。
2022-02-26 09:56 ワンとも URL 編集