足尾銅山観光
8月の山の日の連休に一泊二日でまた北関東に行ってきました。
一日目の目的地は国の史跡にもなっている歴史博物館『足尾銅山観光』
東北道を北上して岩舟JCTから北関東自動車道に入り、
太田藪塚ICで降りて渡良瀬川ぞいの一般道を利用しました。
ちょうどわたらせ渓谷鉄道と並走する感じです。
ちなみに足尾銅山観光の最寄り駅はわたらせ渓谷鉄道の「通洞駅」。
足尾銅山観光の駐車場は40~50台ほどのキャパだったと思いますが、
連休だったのでけっこう埋まっていました。
足尾銅山には本山抗、小滝抗、通洞抗の3つの入口があったようですね。
足尾銅山観光はそのうちの通洞抗というところを公開しているようです。
このゲートから少し下ったところに見学受付の建物があります。
※入坑料金830円/大人一人

入坑料金を払ったらトロッコに乗って銅山の中へ。

これは後から撮ったものですが、
奥に見えるトンネルは“通洞抗”への入口です。
トロッコに乗ってこの中へ入っていって行きます。

坑道を数十メートルほど入った所で下車。
奥に見えるフェンスの向こうは今は閉鎖されている坑道です。
坑道の長さ1,200㎞は東京から博多ぐらいの長さだそうです。

見学ルートは地表に近い部分だけのようですが、
それでも結構な距離がありました。

坑内の展示は時代ごとに人形を使って紹介されていますが、
中は暗いのでほとんどの画像がボケていました…。
なんとか見られるものをUPしています。
こちらは江戸時代の作業の様子です。

江戸時代に顔の面白い人がいたのでもう一枚載せますね。

こちらは明治・大正時代。

こちらは昭和時代。

鉱脈を通って流れてくる地下水(硫酸銅溶液)を鉄と置換し沈殿銅を採集する装置。

“岩肌青色地帯”は染み出した硫酸銅が岩肌に付着して塊になった場所。
実際に見るともっとはっきり青いのが分かります。

こちらは坑内展示の最後の方にある“銅(あかがね)資料館”

外に展示してある“電気機関車と1t角坑車”

こちらは“さく岩機”
岩盤を破砕する時の音と振動が体験できます。

こちらは江戸時代の選鉱・精錬作業の展示です。
左は銅鉱石を粉砕して選鉱する砕女(かなめ)。
この仕事は女性が担っていたそう。
右は精錬する吹所(ふきしょ)で、精銅に仕上げる作業のほか、
銅に含まれる金や銀を取り出す作業もしていたそう。

外展示の一角にある銅銭を作る様子を展示した建物“鋳銭座”
その壁に飾られている寛永通宝は銭形平次が投げていたアレです。
足尾で作られた銅銭の裏には「足」の字があったそうです。
内部は撮影不可だったと思ったので画像はありません。

最後は売店&食堂のある建物を通って見学は終わりです。
売店では銅製の鍋や食器なども売っていましたよ。

建物内の食堂はここしか営業していないようでした。
昭和にタイムスリップしたかのような佇まい。

こちらは売店・食堂のある建物を出たそばにある“通洞鉱山神社”
大正9年(1920年)に鉱業所の移転に伴い神社も新たに造営されたようです。
狛犬は寛保3年(1743年)に彫られたもので、
足尾銅山発祥の地にあった簀の子橋山神社にあったものを移したそう。

足尾銅山というと鉱毒事件の負のイメージしかありませんでしたが、
立派な日本の産業遺産としての足跡が残されていました。
それに、お金を造ってたというし、個人的には金運にご利益があると嬉しいです。
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一日目の目的地は国の史跡にもなっている歴史博物館『足尾銅山観光』
東北道を北上して岩舟JCTから北関東自動車道に入り、
太田藪塚ICで降りて渡良瀬川ぞいの一般道を利用しました。
ちょうどわたらせ渓谷鉄道と並走する感じです。
ちなみに足尾銅山観光の最寄り駅はわたらせ渓谷鉄道の「通洞駅」。
足尾銅山観光の駐車場は40~50台ほどのキャパだったと思いますが、
連休だったのでけっこう埋まっていました。
足尾銅山には本山抗、小滝抗、通洞抗の3つの入口があったようですね。
足尾銅山観光はそのうちの通洞抗というところを公開しているようです。
このゲートから少し下ったところに見学受付の建物があります。
※入坑料金830円/大人一人

入坑料金を払ったらトロッコに乗って銅山の中へ。

これは後から撮ったものですが、
奥に見えるトンネルは“通洞抗”への入口です。
トロッコに乗ってこの中へ入っていって行きます。

坑道を数十メートルほど入った所で下車。
奥に見えるフェンスの向こうは今は閉鎖されている坑道です。
坑道の長さ1,200㎞は東京から博多ぐらいの長さだそうです。

見学ルートは地表に近い部分だけのようですが、
それでも結構な距離がありました。

坑内の展示は時代ごとに人形を使って紹介されていますが、
中は暗いのでほとんどの画像がボケていました…。
なんとか見られるものをUPしています。
こちらは江戸時代の作業の様子です。

江戸時代に顔の面白い人がいたのでもう一枚載せますね。

こちらは明治・大正時代。

こちらは昭和時代。

鉱脈を通って流れてくる地下水(硫酸銅溶液)を鉄と置換し沈殿銅を採集する装置。

“岩肌青色地帯”は染み出した硫酸銅が岩肌に付着して塊になった場所。
実際に見るともっとはっきり青いのが分かります。

こちらは坑内展示の最後の方にある“銅(あかがね)資料館”

外に展示してある“電気機関車と1t角坑車”

こちらは“さく岩機”
岩盤を破砕する時の音と振動が体験できます。

こちらは江戸時代の選鉱・精錬作業の展示です。
左は銅鉱石を粉砕して選鉱する砕女(かなめ)。
この仕事は女性が担っていたそう。
右は精錬する吹所(ふきしょ)で、精銅に仕上げる作業のほか、
銅に含まれる金や銀を取り出す作業もしていたそう。


外展示の一角にある銅銭を作る様子を展示した建物“鋳銭座”
その壁に飾られている寛永通宝は銭形平次が投げていたアレです。
足尾で作られた銅銭の裏には「足」の字があったそうです。
内部は撮影不可だったと思ったので画像はありません。

最後は売店&食堂のある建物を通って見学は終わりです。
売店では銅製の鍋や食器なども売っていましたよ。

建物内の食堂はここしか営業していないようでした。
昭和にタイムスリップしたかのような佇まい。

こちらは売店・食堂のある建物を出たそばにある“通洞鉱山神社”
大正9年(1920年)に鉱業所の移転に伴い神社も新たに造営されたようです。
狛犬は寛保3年(1743年)に彫られたもので、
足尾銅山発祥の地にあった簀の子橋山神社にあったものを移したそう。

足尾銅山というと鉱毒事件の負のイメージしかありませんでしたが、
立派な日本の産業遺産としての足跡が残されていました。
それに、お金を造ってたというし、個人的には金運にご利益があると嬉しいです。
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