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飛騨高山の旅⑤

2012 飛騨高山
10 /09 2012
古い町並みさんまちから『高山陣屋』へ。

高山陣屋の前にも朝市が出ていました。
高山陣屋前朝市



高山は幕府の直轄地だったので、郡代や代官が江戸から派遣されてきました。
幕末の有名な幕臣・山岡鉄舟は、お父さんが高山郡代だったため、子供の頃に高山陣屋で過ごしたことがあるそうです。

高山陣屋は役所、役宅、御蔵を併せた総称で、日本で唯一、現存する陣屋だそうです。
高山陣屋①



こちらは玄関を入ってすぐのお役所、御用場。
高山陣屋②



湯呑所の囲炉裏。
天井から吊るされた木や竹の素材の物は自在というそうですが、魚の形の木彫に取り付けられた金具を自在に掛けたり外したりして高さを変えることができるそうです。
別な部屋の木彫は扇でした。
高山陣屋⑫



こちらは長押飾り金具といって釘を隠すためのもの。
左が現在の陣屋に使われている復元されたもの、右がオリジナル。
高山陣屋③ 高山陣屋⑭




郡代が生活した部屋「嵐山之間」
高山陣屋⑯



3階建ての部分もありましたけど、ここからは2階までが限界・・・。
外は真夏なみの暑さでしたが陣屋内はとっても涼しくて、ここでしばらくゴロゴロしていたいぐらいでした。日本家屋は夏向きに造ってあると聞いた事がありますが実感しましたね。
あと、この陣屋はやたらとトイレが多いんだそうです。
見学者が利用できるトイレは外にありました。
高山陣屋④



高山周辺の屋根は板を段々に重ねて造っていたそうです。
これは瓦だと雪の重みで更に屋根が重くなっちゃうのと、飛騨が木材の産地だからだそう。屋根板はだいたい20年で全部取り替えたそうですよ。
高山陣屋⑰ 高山陣屋21 



こちらは茶の間。奥が女中部屋。
高山陣屋⑤



こちらは台所の竈。
向こう側の人の動きがブレて、お釜から湯気が立っているような効果に。
ワンともが子供の頃、実家ではこういうお釜でご飯を炊いていました。
燃料は薪じゃなくて炭でしたけど。
高山陣屋⑥



台所の天井は高く取ってあって、上の方の窓から煙を逃がしていたそうです。
煙で柱や壁を燻す事で黒くなり防虫効果があったようですよ。
高山陣屋⑬



こちらは大広間。
この後、ここで琴などの演奏会があったようで、正面奥に毛氈が敷いてありました。
掛け軸の孝と忠。最近知ったんですが、儒教では孝>忠なので中国や韓国では未だに縁故主義が強く、国への忠誠を持たせるために外敵が必要なのだとか。さらに悌(兄>弟)の観念もあって厄介なんだとか。日本は天皇を国の親とすることで孝忠の整合性を取り、国が纏まるのに外敵を設定する必要が無かったのだそうです。
高山陣屋⑦



恐ろしげな御白州。
あのギザギザの板は「仁~JIN~」で見た~!!
それ以前に砂利の上を歩くのも座るのも痛そうなんですけどぉ・・・。
高山陣屋⑲



最後に御蔵ですが、こちらはつい最近までJAの倉庫として使っていたそうです。
今は資料が展示されています。
高山陣屋⑳



柱はこんな風にして削ったそうです。
柱に痕跡が残っていますが、触ってもOKなのでボコボコが分かりますよ。
高山陣や⑩ 高山陣屋⑪




御蔵に何が入っていたかというと、やっぱり年貢米。
高山陣屋⑮


高山陣屋の管轄内で起こった大きな一揆についての展示もありました。
親子二代の悪徳郡代による長期間の圧政。農民は座していても死なら行動して死の方を選んだのかもしれませんね。バカ父は失明のあと急死、バカ息子は幕府によって処罰されたので、多少は農民も報われたのかなぁ・・・と。

時代劇の影響で郡代・代官=悪の図式が刷り込まれている感がありますが、
実際には悪郡代や悪代官はすぐクビになったようなので、この飛騨郡代の親子は稀なケースだったのかもしれません。父郡代の奥さんは夫の冷酷さに失望して自害しているぐらいなので、本当に人でなし親子だったのかも。


高山陣屋では前を進んでいたツアーガイドの説明を漏れ聞きながら見学したので、
ブログも思いのほか充実した内容になりました。
どこのツアーか分かりませんが、この場を借りてお礼を申し上げます。




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コメント

非公開コメント

高山陣屋、一見の価値ありですね。

to:片田舎動物病院 院長さん

4箇所しかなかった郡代所の唯一現存する陣屋ですから貴重ですね。
文化圏が近いと、より興味深いんじゃないでしょうか。

ワンとも

計画好きトラベラー
「ワンとも」です。
旅の相方は「ダンナ・ピット」。
我が家の旅にまつわるアレコレを、乏しい文章力をフル回転して書いています。
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